最近になって父親が戦争の話しをするようになりました [日常の生活]
日曜の夜は、決まって、父親と夕食です。今夜はうなぎ丼です。
ほりけんの父親は93歳です。太平洋戦争は中国に出兵していました。
その父親に、昔は、多くの戦友から年賀状が届きました。
でも、数年前の1枚を最後に、その年賀状も届かなくなりました。
何年か前まで、一切、太平洋戦争の話を口にしなかっら父親が、最近、話すようになりました。
悲惨な戦争の話しを避けてきた父親でしたが、町内でも最長老になり、戦争の経験者がいなくなり、
自らがあえて戦争の話しすることで、戦争の悲惨さ愚かさを伝えようと考えを改めたようです。
うなぎ丼の夕食後、父親がいくつもの世間話の最後に、戦争の話しをしだしました。
ほりけんの生まれ育った三重県四日市の田舎は、100軒ほどの町です。
町の中央に神社があります。
その神社の両サイドに大きな碑が立っています。
裏には、町内の戦没者の名が刻まれています。100軒程の町ですが、30数名程の名あります。
その基礎の石には、太平洋戦争に参戦した従軍者60数名の名が刻まれています。
100軒の小さな町の100名ほどに召集令状が来て、3名に1名が亡くなりました。
もう、そのことを語ることのできる人間は、町内では、ほりけんの父親くらいになってしまいました。
最近は、町内会から、戦争の経験の講演の依頼も受けるようになりました。
町内の集会場で、色々な世代の町民に、戦争の悲惨さ、愚かさを伝えています。
父親の話しは、夕食後の6時から始まり、気がついたら9時になっていました。
おはようございます。
父の生前、戦争の話を
断片的に聞いておりました。
真剣に向き合って話をすることは
なかったように思います。
by かずあき (2011-06-27 07:47)
こちらでも太平洋戦争時、収容所に入っていた人達は
殆どその話をしませんでした。数年前に叔父家族が収容されていた
ツゥリー・レイクへの巡礼の旅に参加しましたが、そこで自分の親が
入っていた又は入っていたらしかったが殆ど話をしなく、こういうイベントを
通してもっと色々な事を知りたいから参加したという人達に会いました。その他に祖父母と一緒に大勢の若い人達が(多分4世になると思う)参加していましたがその若者達には感動を覚えました。
by ciscokid (2011-06-27 08:27)
おはようございます。
私の父も満州で終戦・・・北朝鮮経由で帰国・・殆ど話しをしませんが5年程前元上官の方が纏めた冊子を戴き知りました。(父85歳)
by YUTAじい (2011-06-27 09:35)
こんにちは
素敵な親子関係ですね~(〃∇〃人)
うちの父もきっと、最後はそんな時間を持ちたかった筈・・・
by ミムラネェ (2011-06-27 14:36)
語り部さんのお一人ですね。
愚かさを思い切り伝えて欲しいと思います。
by たく (2011-06-27 19:41)
私の親父は、7年前、92歳で旅立ちました。
小学校成の頃、忙しい父親と滅多に入ることのない風呂で、
軍歌を口ずさむ親父の声が風呂に響き、今も耳に残っています。
戦争の話はしたことがありませんが、歌声が聞こえてきますね。
by oira (2011-06-27 20:50)
母方の祖父が時折話をしてくれました。
南方に行っていたそうです。
食べるものもない時に
現地の方が下さった
リンゴのような果物が美味かったことが
今でも忘れられないと。
そして 無事帰ってこれたのが奇跡だとも。
もっと、話を聞いておけばと後悔しています。
by nonnon2 (2011-06-27 21:31)
わたしの父は今年88歳、学徒動員で兵隊になりました。
その頃の話を、ポツリポツリと孫にしています。
彼なりに、戦争の悲惨さを孫に残しておきたいのでしょうね。
by ナツパパ (2011-06-27 21:49)
うちの父は出兵はしてませんが、東京大空襲を経験し、
母は満州からの引き揚げ経験者です。
終戦記念日になるとその当時の話をよく聞きます。
by しおつ (2011-06-27 21:51)
祖父は中国とフィリピンに出兵したと聞いています。しかし、戦争の話を聞かされず、25年ほど前に死去しました。フィリピンでマラリアにかかったという話だけは母に聞かされました。
戦争ほど無意味な行為はないと断言できます。
by 中島茂信 (2011-06-27 22:30)
私の家でも亡くなった父、実家の母の東京大空襲の体験を
子供たちに聞かせるようにしています。
by yasu (2011-06-27 22:38)
私の祖父も97歳で、戦争に行きました。
戦友会は10年くらい前、最後の会を開いて終了しました。敬老会と違って、増えることはありませんものね。
以前は戦争の話をしませんでしたが、時々話してくれるようになりました。
同じような気持ちなのかと思います。
祖父たちのおかげで、今の日本があるのだと思います。
by 麻能 (2011-06-27 23:50)
貴重なお話ですね。親子で話せるって素敵だと思います。
亡くなった祖父に体には戦争の時の傷がありましたが、何も話してはくれませんでしt。話すまでに要する時間は出来事の重さを思いしらされます
by ちあこさん (2011-06-28 00:39)
お父様の戦争の話聴きたいですね。
もう聞くことが出来る人たちも
少ないですよね。
私も子供の頃は母の話が大好きでした。
悲惨さはよくわからなかったのですが…
いろんなところで講演されるのは
素晴らしいことですね。
by yoko-minato (2011-06-28 11:21)
私の祖父は南方で亡くなりました。
遺骨もない祖父。
どこでどのように亡くなったのかだけでもと調べましたが、取り寄せた記録に残る地名は今も当時も存在せず、どこかで間違って記録されたのかどうだか。
本当に戦争は愚かです。
by akko (2011-06-28 17:10)
義祖父も亡くなられる少し前に、曾孫に話をしてくれました。
by NsHome (2011-06-28 21:32)
話をしようという気持ちになられるまでの時間は
それだけ重く、心に残っていることだったからなのでしょうね。ただ、こういう体験をお話し出来る方も、少しづつ
少なくなってきていますから、貴重ですよね。
by じゅりあん (2011-06-30 00:14)
最近亡き父ともっと話がしたかったと後悔が押し寄せます。
by ドラもん (2011-07-01 19:24)