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アメリカ紀行 テキサス州サンアントニオ「アラモの戦い」によってテキサスはメキシコから独立  [米国紀行(サンアントニオ)]

 元々スペイン領だったテキサスの広大な土地は1821年に独立したメキシコの領土になっていました。しかしメキシコの中心からあまりに遠い辺境のテキサスにはアメリカの開択民達がどんどん移住してきて1836年にメキシコから独立するための反乱を起こしました。

 この反乱を聞いたメキシコで独裁政権を樹立したばかりのサンタ・アナが自ら数千の軍隊を率いアメリカ人反乱軍の一部187名が立てこもったアラモの砦に殺到しました。守っていたトラビス大佐などは大軍の攻撃を受けて激闘13日、ついに全滅してアラモの砦はメキシコ軍に占領されました。
 
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 この歴史上名高い「アラモ戦い」で、すぐに「アラモを忘れるな(Remember the Alamo!)」という叫びが上がり奮い立った反乱軍は、メキシコ軍を破ってテキサス共和国を独立させました。

 写真の左側が「アラモの砦」です。右側の建物の中で、20分間「アラモの戦い」の映画が見れます。s-s-Alamo_030.jpg

アラモの砦の正面の建物です。
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平日は9:00~17:30、日曜は10:00~17:30まで入場できます。

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入場する前に、9人揃って、記念撮影です。s-IMG_0051.jpg

今から、入場します。正面玄関に「アラモの戦い」の傷跡が残ります。s-lamo_021.jpg

ここで反乱軍187名が全滅しました。ほりけんと学生、そこを歩いています。壁に傷跡が残ります。
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当時使われた大砲です。こんな小さな砦、大砲には勝てないですね。
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今は、緑が覆い茂りますが、戦いは不毛のアラモ繰り広がられました。
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アメリカ人は、この「アラモの戦い」にアメリカ人としての血が騒ぐのでしょうね。
ほりけん、第二次世界大戦の時、硫黄島において、栗林忠道中将率いる22,000名の日本軍が1000名の生存者だけを残して1ケ月持ちこたえた「硫黄島の戦い」と重なってしまいました。


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アメリカ紀行 フロリダ州キーウェストの合衆国最南端ポストとヘミングウェイの住居 [米国紀行(キーウエスト)]

その日は、マラソンMarathonからレンタカーをとばして、キーウエストKey Westに入りました。
そこに、合衆国の最南端を示すポールが立っています。この百数十km南にキューバがあります。 
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合衆国最南端ポールは、ここキーウエストKey Westの、勿論、最南端にあります。
その歩いて数分のところに、ヘミングウェイ(1899年7月-1961年7月)がかつて生活をしていた家があります。
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アーネスト・ヘミングウェイのかつての住まいは、今、博物館にもなっています(左の写真)。
かつて、ヘミングウェイは、キューバのカストロとも親交がありました(右の写真)。
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 ヘミングウェイはシカゴに生まれました。
1954年には、「老人と海」でノーベル文学賞を受賞しました。
二度の航空機事故から、二度とも奇跡的に生還しています。
そのヘミングウェイのかつての住みかです。
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ヘミングウェイ博物館の周辺のキーウエストは、開放的なリゾート地です。
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トロリー汽車が走っていました。ほりけんも乗ってみました。
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朝が早かったこともあり、お腹が空いてきました。レストランを探すことにしました。


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