SSブログ

名古屋地下街(メイチカ)ユニモールとエスカの「浜寿し」のランチメニュー [食の探索(名駅)]

ほりけん、名古屋駅界隈の会議室で会議を行います。通常、会議室を名古屋駅の東口(桜通口)方面に予約します。 ほりけん、会議の前には、名古屋駅地下街(メイチカ)において腹ごしらえをします。 

会議室は、メイチカでも「ユニモール」の近くにあり、ユニモールの「浜寿し」でよく食します。SANY0013.jpg

 「ビジネスランチ」の680円は手頃です。ビジネスマンが、安く、気楽にランチをするには持ってこいです。名古屋に出張の方にはいいと思います。 SANY0015.jpg

 ほりけんの知る限りにおいては、桜通口方面の地下街には4つの寿司屋さんがあります。map_sa2.jpg

http://map.yahoo.co.jp/chika?ac=23

サンロードにある丸忠グループの回転寿司「海転丸忠」です。SANY0009.jpg

・ 

テルミナには「廣寿司http://www.hirozushi.net/」もあります。

その他、サンロードには持ち帰り寿司の店「東鮓本店」がります。SANY0007.jpg

名古屋駅の地下で手早く済ますランチにはお寿司もいいと思います。

nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:グルメ・料理

伊勢湾に浮かぶ中部国際空港セントレアから世界へ離陸 [地域紹介(愛知県・セントレア)]

愛知県の常滑沖にある中部国際空港(セントレア)です。
多くの飛行機が着陸したり、離陸したりしています(左の写真)。
滑走路の脇に、1機のジャンポ機が離陸を待っています(右の写真)。
IMG_0165.jpgDSC_7878.jpg
滑走してきたそのジャンボ機がまさに離陸しようとしてます。その瞬間です。
遠くに四日市の火力発電所が、その後方に鈴鹿山系が見えます。
DSC_7891.jpg
北に向かって離陸しました。やがて方向を替えて、世界各国に向かいます。
DSC_7895.jpg
ジャンボ機の機体が雄大な青空に吸い込まれ、消えて行きます。
DSC_7899.jpg
日本の工業生産の多くの割合を占める東海地区です。
日本を牽引すべく、翼も新たに再び世界に飛び立って行きたいものです。
頑張れ!東海地区! 頑張れ!日本!
中部国際空港 セントレア 愛知県常滑市 おきあい おき合い 沖合い 滑走路 ジャンボ機 機体 離陸の瞬間 三重県四日市  鈴鹿山脈 鈴鹿山系 コンビナート 中部電力 火力発電所 大同大学 ほりけん 堀

nice!(2)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

織田信長と今川義元の桶狭間の古戦場にある高徳院の地蔵さま [地域紹介(愛知県・豊明市)]

愛知県豊明市の桶狭間古戦場に高徳院があります。今川義元のお墓もあります。
SANY0695.JPG
門からの境内の眺めです(左の写真)。
門を入るとすぐに、ここが桶狭間の古戦場であったことを印す石碑が立っていました(右の写真)。
SANY0696.JPGSANY0698.JPG
紅葉したもみじの向こうに見えるのが本堂です。
SANY0700.JPG
本堂に向かって左奥には多くの地蔵さまが立ったり座ったりしていました。
桶狭間の戦いで亡くなった武士を供養したものでしょう。
SANY0702.JPG
更に奥には急な傾斜の竹やぶがありました。
ほりけんには、写真の光の方向から織田信長の軍勢が雪崩打ったようにも思えました。
SANY0703.JPG
・ 
 
愛知県豊明市 桶狭間の古戦場 桶狭間の戦い 高徳院 地蔵 今川義元の墓 秋 もみじ 紅葉 お寺 大同大学 ほりけん 堀

nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

愛知県豊明市にある織田軍と今川軍の桶狭間の古戦場 [地域紹介(愛知県・豊明市)]

織田信長が今川義元を打ち破った桶狭間の古戦場とされる場所に石碑が立っています(左の写真)。
 今は、その場所は公園になっています(右の写真)。
SANY0676.JPGSANY0679.JPG
桶狭間の場所には諸説がありますが、この地が古戦場であったことを記載しています。
SANY0678.JPG
古戦場には、亡くなった武士を供養した地蔵が沢山あります(左の写真)。
その中に、上に記載の「おばけ地蔵徳本行者念仏碑」もあります(右の写真)。
SANY0695.JPGSANY0690.JPG
織田信長の軍はこの傾斜を下り、今川義元に襲い掛かったのかも知れません。
SANY0709.JPG
この桶狭間の戦いをきっかけに織田信長は天下統一への道を歩み始めました。
450年の歳月を経て今年も、その桶狭間は秋をむかえています。
織田信長 今川義元 桶狭間の戦い 田楽狭間 舘狭間の戦い おばけ地蔵徳本行者念仏碑 愛知県豊明市 戦国時代 大同大学 ほりけん 堀


nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

三重県菰野町 湯の山街道「エクレール月乃屋」の巨峰大福と生チョコ大福 [食の探索(三重県・全県)]

湯の山温泉からの帰り、三重県菰野町にある生菓子屋「エクレール月乃屋」によりました。
 遠くに御在所岳が見えます。
SANY0483-8491d.JPG
珍しい生菓子が売っていました。巨峰大福(左の写真)と生チョコ大福(右の写真)です。
SANY0486.JPGSANY0492.JPG
巨峰大福(1パック735円)1パックを買い、1つを手にとってみました(左の写真)。
気になって2つに割ってみました。巨峰の外側をそのまま餅が包んでいます。
SANY0491.JPGSANY0489.JPG
兎に角、食べてみました。「何だ、この美味さは!絶品です」
SANY0487.JPG
イチゴ大福は、イチゴだけでは甘味を引っ張り出せず、イチゴをアンコの包みます。
そうすると、アンコが甘いので、イチゴが酸っぱく感じられます。
ところが、巨峰大福は、巨峰そのものが甘く、アンコがいりません。
かつ、ジューシーです。口の中で、巨峰の天然の甘さが弾けます。これぞ、絶品です。
「エクレール月乃屋」の所在地:三重県三重郡菰野町川原町1512

  
三重県 三重郡 菰野町 湯の山温泉 御在所岳 湯の山街道 湯ノ山 生菓子屋 エクレール 月乃屋 生チョコ大福 巨峰大福 生菓子 大同大学 ほりけん 堀
       
 

nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:グルメ・料理

三重県鈴鹿市 「夏は来ぬ」の佐佐木信綱の生家の「うの花」 [地域紹介(三重県・鈴鹿市)]

「夏は来ぬ」の歌でお馴染みの佐佐木信綱先生が生まれた家が、
四日市のほりけんの自宅から車で10分の距離にあります。
SANY0410.JPGSANY0423.JPG
玄関です。表札に「信綱の生家」とあります(左の写真)。
玄関を入りました(右の写真)。
SANY0415.JPGSANY0421.JPG
庭に出てみました(左の写真)。信綱先生の産湯の井戸がありました(右の写真)。
SANY0416.JPGSANY0417.JPG
「うの花」が植えられていました。小学校で習った童謡「夏は来ぬ」の舞台です。
「うの花の匂う垣根に、ホトトギス、早もう来たりて、・・・・・」の歌詞で知られた場所です。
SANY0418.JPG
家の中を拝見しました。手入れ良く保存されています。
SANY0420.JPGSANY0422.JPG
ほりけんの自宅から目と鼻の先にあった佐佐木信綱先生の生家ですが、
今回、初めて訪問しました。
三重県鈴鹿市 うの花 卯の花 夏は来ぬ ホトトギス ほととぎす 佐々木信綱 佐佐木信綱 歌人 童謡 大同大学 ほりけん 堀

nice!(1)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

名古屋市中川区 中川運河と堀川を結ぶ水路の水位調整の松重閘門の復興 [地域紹介(名古屋・中川区)]

名古屋の中心部に、松重閘門(まつしげこうもん)があります。 松重閘門は、1930(昭和5年)に中川運河と堀川を結ぶ水路の水位調整を目的に設けられたものです。塔の高さは21m、中には水門を開閉するための錘を収納しています。
SANY0031.JPG
 

 松重閘門は、庄内川と都心をつなぐ堀川と、名古屋港と都心をつなぐ中川運河とを結び、近代期の名古屋の産業発展を支えていた遺構です。<注:閘門とは、運河などで高低の差のある水面で船を昇降させたり、水量を調節したりする装置の水門のことです。>

地図.JPG
かつて、ごみの捨て場であった水門も賢人達の運動によって観光スポットと言われるまでになりました。
SANY0028.JPG
名古屋を歩く方々にとっての立ち寄り場所にまでに復興しました。
SANY0039.JPG
今や、威光をも放っています。ライトアップもされるようになりました。
SANY0036.JPG


      松重閘門の所在地:中川区山王一丁目901番地
      ホームページ:http://www.fromnagoya.jp/html/idx_matsushige1.html

 

名古屋の堀川にある松重閘門の復興

 
名古屋市 松重閘門 庄内川 堀川、名古屋港 中川運河 近代名古屋 産業発展 運河水量調節 ボランティア 大同大学 ほりけん 堀

nice!(1)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

三重県鈴鹿市加佐度 鈴鹿フラワーパークのパンジー園と紅葉 [地域紹介(三重県・鈴鹿市)]

三重県鈴鹿市にある「鈴鹿フラワーパーク」 に広大なパンジー園が登場しました。
SANY0332.JPG
駐車場も結構あります。そこの紅葉が進んでいます。 
SANY0333.JPGSANY0334.JPG
広大なパークです。休日ともなると家族連れが多く集まってきます。
SANY0335.JPG
そのパークの広大な土地にパンジーが植えられました。遠くの方までパンジーで一杯です。
SANY0336.JPGSANY0337.JPG
まだ、植え付けが終わったところです。これから一層美しさを増していくことでしょう。
SANY0338.JPG
白い花、黄色い花、赤い花、紫色の花、それぞれに綺麗です。 
SANY0346.JPG
「鈴鹿フラワーパーク」の所在地:三重県鈴鹿市加佐度
鈴鹿フラワーパーク 三重県鈴鹿市 憩いの公園 パンジー 秋 冬 駐車場 花園 大同大学 ほりけん 堀

三重県菰野町 スーパー三泗(サンシ歯の「とりたて新鮮地元野菜」と「あられ・たがね」 [食の探索(三重県・全県)]

 ほりけん幼少のころ、四日市には百貨店岡田屋(現、イオン)とスーパー三泗(サンシ)がありました。
岡田屋は今やイオンとなって、国内最大のスーパーとなりました。
片や、サンシも、イオン程ではありませんが、四日市、桑名、鈴鹿、亀山に10店舗をかまえています。
そのサンシの菰野店に地元農家産の野菜売り場を見つけました。
これら全てが地元の農家で栽培されました。
SANY0240.JPG
看板も、ずばり「とりたて新鮮地元野菜」です。
SANY0236.JPG
この方々(左の写真)が作った野菜です(右の写真)。
SANY0238.JPGSANY0241.JPG

その売り場で、地元の方々が作った「あられ(左の写真)」と「たがね(右の写真)」を見つけました。 SANY0245.JPGSANY0246.JPG

 「たがね」とは、どうも伊勢地方独特の餅のようです。餅米9に対しうるち(日本人が日常食べている米のことです)の割合で蒸し上げ、杵で付いたものです。餅米と違い、うるち米は米粒がつぶれず残るため、独特の食感があります。ほりけんも19歳で四日市を離れるまで、よく食していました。伊勢神宮内宮のおかげ横町で買い求めることも出来ます。

たがねを買い、久々にたがねの雑煮を作ってみました。少し歯ごたえがあり、それがたまりません。
SANY0254 (2).JPGSANY0254.JPG
「サンシ菰野店」の所在地:〒510-1232 三重郡菰野町大字宿野字神明田363
http://www.supersanshi.com/
スーパーマーケット サンシ 三泗 三重県菰野町 地元野菜 地鶏 卵 玉子 たまご お餅 あられ おかげ横丁 たがね タガネ ぞうに ゾウニ 雑煮 大同大学 ほりけん 堀

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:グルメ・料理

三重県伊賀盆地 「伊賀越」の「天然蔵の昔造り」と「福岡醤油店」の「はさめず」 [地域紹介(三重県・伊賀市)]

 三重県の伊賀盆地は、夏冬の寒暖の差が激しく、醤油・酒など醸造に適した立地条件です。自然の四季の寒暖(天然蔵)のみで、ゆっくりと発酵、熟成させる伊賀地方の醤油は、塩っぽくなく旨みがあり秘かなブームです。
・ 
創業が明治6年の「伊賀越(イガゴエ)本城」の醤油です。
ほりけん自宅、煮物などには、名古屋市熱田区の「イチビキ」醤油を使っていますが、
刺身などの付け醤油には、多少値のはる「伊賀越」醤油を使っています。
SANY0295.JPGSANY0308.JPGSANY0309.JPG
「伊賀越」の醤油類です。色々あります。
SANY0173.JPG
伊賀には、もう1つ東海地区で有名な、創業が明治28年の醸造蔵「福岡醤油店」があります。
商品名は「はさめず(左の写真はホームページより) 」です。
ほりけん研究室の研究員の中には、この醤油を買うために、
わざわざ、名古屋から伊賀まで車を走らせてる食通の人たちもいます。
top_01.jpgSANY0780.JPG 
「伊賀越 本城」の所在地 : 〒518-0841 三重県伊賀市上野恵美須町1560
「福岡醤油店」の所在地 : 〒519-1704 三重県伊賀市島ケ原1330

 

nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:グルメ・料理

愛知県岡崎市 カクキュー「八丁味噌の郷」資料館にみる醸造過程 [地域紹介(愛知県・豊川・岡崎市)]

愛知県岡崎市にある「八丁味噌の郷」には、カクキュー八丁味噌の資料館があります。 
資料館の建物に入ると、右手上に、長く岡崎駅に掛かっていた、カクキュー八丁味噌の看板があります。DSC09121.jpg
豊臣秀吉が矢作橋の上で当蔵から盗んだ筵にくるまり寝ている所で武家と知り合い、
それを機会に出世したという言い伝えがあります。
資料館の建物です(左の写真)。軒下には、味噌を醸造するための樽が置いてあります。
建物の中には、直径1.8mの樽が置かれていました(右の写真)。
1樽を作るのに300万円程度とのことでした。
DSC09120.jpgDSC09139.jpg
昔の味噌の醸造過程をリアルに再現したものです。
DSC09126.jpg
昔の醸造には多くの職人が係わっていました。
一番奥が先代久右ヱ門です。仕込み具合を自ら決めます。DSC09127.jpg
長い歳月を経て、今に残っている食べ物に不味いものはないですね。
愛知県岡崎市 味噌の醸造 みそ 職人 早川久右ヱ門勝久 カクキュー 八丁味噌 宮内庁ご用達 みそたる 味噌樽 味噌たる 大同大学 ほりけん 

nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

イタリア王国の首都トリノでサヴォイア家の王宮を歩く [伊国紀行(トリノ・ピサ)]

 燃料電池の学会も終わり、トリノの街を歩くことにしました。
サン・カルロ広場です
この広場の中心に、初代統一イタリアの国王、エメヌエーレ・フィリベルの騎馬像があります。 ・
DSC00204.jpg
  トリノは、
     1536年から1562年にかけてフランスに占領された後、サヴォイア家に帰属しました。
     1720年より1861年までサレデーニャ王国の首都として栄えました。
     イタリア統一後は1861年より1865年までイタリア王国の首都として繁栄しました。
     現在は、ミラノに次ぐイタリア第2の工業都市です。
     また、イタリアサッカーリーグのセリエAユヴェントスの本拠地です。
航空写真.JPG
サヴォイア家の王宮です。1660年に建設され1865年まで王宮になっていました。
現在では、世界遺産に指定されています。 右端にマダーマ宮殿が僅かに見えます。
DSC00207.jpg
 
 マダーマ宮殿です。この建物は、2つの建物が寄せ合わさっています。奥の建物は宮殿風ですが、手前の建物は、中世のお城風です。確かに、手前の建物は、ローマ時代にはデクマナ門が立っていた場所であり、中世の時代には要塞としても使われていました。 
DSC00210.jpg
マダーマ宮殿を城門側から写真にしました。要塞風です。
DSC00209.jpg
トリノには、イタリア統一王国の遺産が色濃く残っています。

nice!(1)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。