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愛知県清須市 織田信長・徳川家康・豊臣秀次・福島正則ゆかりの清州城と金の鯱 [地域紹介(愛知県・清須市)]

大手橋から眺めたライトアップされた清洲城です。数々の歴史がここから塗り変えられました。
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清洲城の歴史

 1555年から約10年間:織田信長の居城。 1562年信長、桶狭間の戦いに出陣。信長と徳川家康の同盟が締結(清洲同盟)。 1582年本能寺の変の直後、織田家臣による清洲会議。 1588年:小田原合戦後、織田信雄から豊臣秀次の所領に。 1595年:福島正則の居城に。 1600年:松平忠吉の居城に。 1607年:徳川義直の居城に。 1609年:家康によって、清洲から名古屋へ遷府。 1613年:名古屋城の完成と城下町の移転に伴い廃城。

現在の清洲城

現在、城跡は開発によって大部分は消失し、さらに東海道本線と東海道新幹線に分断されており、本丸土塁の一部が残るのみです。 現在の天守は、1989年に、清洲町の町制100周年を記念して、清洲城跡に隣接する清洲地域文化広場内に建設された模擬天守です。外観や規模は、実在当時を想像して建てられました。

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五条川に架かる大手橋から復元された清洲城を望みます(左の写真)。
斎藤道三の娘である濃姫の銅像です(右の写真)。この地で過ごしていました。
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復元された清洲城の天守閣です。夜はライトアップされます。
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金の鯱鉾が夜の闇の中に照らし出されます。
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金色に照らし出されます。 
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450~500年前、織田信長が、豊臣秀吉が、前田利家が、柴田勝家が、徳川家康が、福島正則が、ここ清洲の地を駆け抜けて行きました。 そして、数々の歴史を書き変えて行きました。

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