SSブログ

品川駅弁シリーズ 駅弁コンテスト大人の部グランプリ「21世紀出陣弁当」 [駅弁(東京・品川駅)]

ほりけん、毎週1回は東京に出張します。ほりけんに限らず、仕事での東京出張は戦場に出向くようなものです。言わば、出陣です。そのとき、こっそり腰に忍ばせるのが「21世紀出陣弁当」です。

s-SANY0022.jpg
ほりけんだけかと思いきや、この「21世紀出陣弁当」が「駅弁コンテスト・大人の部・グランプリ」を受賞したのです。実は、ほりけんと同じような思いから、多くのビジネスマンが、こっそりと「21世紀出陣弁当」を買ってたのです。
s-SANY0008.jpgs-SANY0004.jpg
下の「いざっ出陣!」のポスターが、沢山、新幹線の東京駅、品川駅、新横浜駅に貼られています。s-SANY0002.jpg
戦場に出向くわけですから、勿論、竹籠に入っています。1つ1000円です。
s-SANY0024.jpgs-SANY0027.jpg
串コンニャク(出陣旗)、バイ貝(ホラ貝)、勝ち栗が入っています。戦場での「三種の神器」です。
これによって、ほりけんを始め、多くのビジネスマンが、東京と言う戦場で心の拠り所を得ています。
s-SANY0006.jpg
s-SANY0030.jpgs-SANY0028.jpgs-SANY0032.jpg
 「21世紀出陣弁当」が「駅弁コンテスト・大人の部・グランプリ」を受賞したと言うことは、ほりけんと同じような思いで新幹線に乗り合わせている人が多くいると言うことです。言わば、同志です。頼もしく思っています。
東京出張 新幹線 東京駅 品川駅  新横浜駅 出陣弁当 ビジネスマン  駅弁コンテスト グランプリ受賞 竹かご 大同大学  堀 

nice!(1)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:グルメ・料理

夕暮れ時、サラリーマンを乗せて走るレトロ鶴見線  [地域紹介(神奈川県)]

横浜市のJR鶴見駅から海芝浦駅までの10kmほどの区間、湾岸の工場で働く人達に利用されるJRの支線(鶴見線)がありますかつて、企業に勤めていた頃、ほりけん、この鶴見線沿いにある工場によく出向きました。夕刻には、疲れた体でこの鶴見線で帰路についたことを思い出します。10年ぶりに、その鶴見線に乗ってみました。
夕刻の終点の「海芝浦駅」です。工場で働く人達の帰宅を待つ車両です。
かつては、レトロな車両が待っていました。今は、新しい車両に変わってしまいました。
s-SANY0169.jpg
「海芝浦⇔新芝浦⇔浅野⇔弁天橋⇔鶴見小野⇔国道⇔鶴見」の間を結ぶJRの短い支線です。
横浜市の湾岸の工場で働く人が利用します。横浜とは思えないレトロな駅が残っています。
地図.JPG
ほりけん、企業時代、下の写真のレトロな車両にゆられて鶴見~海芝浦間を往復していました。
turumi2.gifturumi1.gifturumi3.gifturumi4.gif 
夕刻の「海芝浦駅」です。工場での仕事を終えた人達が電車に乗り込みます。
s-SANY0177[1].jpg
・ 
「海芝浦」の駅からは、ベイブリッジを望むことができます。夕暮れ時の横浜の海です。
工場での1日の疲れを癒してくれます。かつては、あのベーブリッジはありませんでした。
SANY0172-s.jpg
「海芝浦駅」から2つ目の「朝野駅」です。日の入り間近かです。駅が黄色に染まります。
s-SANY0156.jpg
・ 
浅野駅、浜川崎行のプラットホームです。影が長く伸びます。物悲しくなってきます。
s-SANY0150.jpg
「国道駅」です。駅は高架です。工場から家路を急ぐ人達を乗せて電車が走り去ります。
s-SANY0186.jpg
・ 
「国道駅」の改札はプラットホームから階段を降りた1階にあります。
昭和の早い時代に作られた改札でしょう。奥の方には飲み屋街の面影が残ります。
s-SANY0193.jpg
・ 
改札の上を仰ぐと、古びた看板が目に留まりました。昭和初期のものでしょうか。
s-SANY0202.jpg
 横浜市の湾岸には多くの工場があります。夕方の5時を過ぎると、工場で働く人達が疲れきった体で家路を急ぎます。その疲れた体を家路へと運んでくれる鶴見線です。車両は一新されましたが、駅々は、かつての面影を残しいました。
横浜市鶴見区 JR鶴見線 海芝浦駅 新芝浦駅 浅野駅 弁天橋駅 鶴見小野駅 国道駅 ベイブリッジ プラットホーム 改札口 レトロな電車 大同大学  堀

常滑焼きの壷で造られた昔の街並み  [地域紹介(愛知県・常滑市)]

今や茶香炉などのお洒落な焼き物にチャレンジする常滑焼きですが、
元々は、土管や壷で知られていました。 
昔の面影が、常滑の路地の至るところ、路面や壷垣に見られます。s-DSC_9171.jpg
 常滑の路地は壷や土管の間を縫って走ります。路面にも壷が敷かれています。 
s-DSC_9163.jpg
建物の基礎にも壷や土管などの常滑焼きが使われます。
s-DSC_9153.jpg
こうした建物の中で、壷の形が造られていたのかも知れません。
DSC_9001.jpg
長く続く壷垣です(左の写真)。ツタからも壷が顔を出します(右の写真)。
s-DSC_9166.jpgs-DSC_9111.jpg
壷の垣根です。庭にも椅子にも壷が使われます。
s-DSC_9167.jpg
壷が路地に彩りを添えます。奥に、常滑焼きの焼成炉と煙突が見えます。s-DSC_9088.jpg
常滑の人が、長く、焼き物の中で生活をしていたことが伺えます。やっぱり、焼き物の街です。
愛知県常滑市 やきもの散歩道 垣根 路地 歩道 常滑焼き 煙突 赤いレンガ 炉 焼き物 大同大学 ほりけん 堀 昔の街並み

名古屋城のこの襖に虎が戻ってきます [地域紹介(名古屋・中区)]

名古屋城の本丸御殿の復元と共に、その本丸御殿のこの竹林に虎が戻ってくると聞きました。
haikei.jpg
雄の虎が名古屋城の竹林にしのび寄ってきました。
tora02.jpg
名古屋城炎上から65年、名古屋人が待ち焦がれた虎が名古屋城に戻ってきました。
「金のシャチホコ」と「竹林の虎」、名古屋城の象徴です。
tora.jpg
復元される名古屋城の本丸御殿の「玄関一之間・二之間」は虎で埋め尽くされます。
(名古屋城のホームページより)
img_genkan_01.jpg
一之間・二之間の襖の竹林豹虎図です。雄のトラです。
s-DSC_0022.jpg
一之間・二之間の襖に描かれるメスの虎と子供です。
s-DSC_0026.jpg
 
本丸御殿の「表書院」の復元イメージです(名古屋城のホームページより)。 
img_omote_01.jpg
本丸御殿の表書院と共に、その襖にキジが戻ってきます。桜花雉子図です。 
s-DSC_0030.jpg
本丸御殿の「上洛殿」の復元イメ-ジです(名古屋城のホームページより)。
img_jouraku_01.jpg
本丸御殿の上洛殿と共に、その襖に「帝鑑図」が戻ってきます。
s-DSC_0034.jpg
既に、平成21年1月4、名古屋城の本丸御殿の復元に着工しまた(名古屋城ホームページより)。
s-DSC_0012.jpg
そして、名古屋城の本丸御殿が復元されます。
s-DSC_0006.jpg
既に、本丸御殿の基礎工事は終わっていました。
名古屋城 本丸御殿 復元 玄関一之間・二之間 表書院 上洛殿 襖 ふすま 屏風 びょうぶ 虎 とら きじ 雉 大同大学 ほりけん 堀  

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

名古屋城の梅 [地域紹介(名古屋・中区)]

 天守閣を背景にほころびかけた名古屋城の白梅です。
s-DSC_5080.jpg
既に開花した花もちらほらあります。
s-DSC_5100.jpg
雨上がりの名古屋城です。白梅も見つめています。
DSC_5030.JPG
路面も濡れています。この雨が上がれば梅は一気に開花すると思われます。
s-DSC_5040.jpg
本当に春が待ち遠しい名古屋城の梅です。まだ、固いツボミも沢山あります。
s-DSC_5020.jpgs-DSC_5070.jpg
もう直ぐ、この梅の木の下の芝生に多くの人が集うことでしょう。
s-DSC_5130.jpg
一日千秋の思いで春を待ち焦がれる名古屋城公園でした。
名古屋城 公園 天守閣 名古屋市中区 白梅 春を待つ 雨上がり 大同大学 ほりけん 堀

短い生涯に数多くの名作を書き残した「新美南吉」  [地域紹介(愛知県・半田市)]

下の写真の人物は誰だかご存知でしょうか?
小学校国語教科書の教材の定番ともいえる「ごんぎつね」や「手袋を買いに」の作者「新美南吉」です。
s-IMG_1401.jpg
・ ・新美南吉は愛知県半田市出身で、この地半田市には「新美南吉記念館」が設立され
新美南吉の生家」も現存しています。
下の写真は「新美南吉記念館」です。 新美南吉の主な作品をジオラマにして展示されています。
s-IMG_1411.jpg
・・
記念館には図書館も併設され新美南吉の本も閲覧することができます。
s-IMG_1417.jpg
下の写真は新美南吉の生家です。ここでたくさんの作品を書き上げました。
そして病により29歳という若さでこの世を去りました。
DSC(18).jpgDSC(20).jpg
新美南吉が過ごした大正時代の生活の様子がうかがえます。
DSC(24).jpgDSC(27).jpg
DSC(25).jpgDSC_ (22).jpg
「ごんぎつね」のあらすじ(Wikipediaより)

両親のいない小狐「ごん」は村へ出てきては悪戯ばかりして村人を困らせていました。ある日、「ごん」は兵十が川で魚を捕っているのを見つけ、兵十が捕った魚やウナギを逃すという悪戯をしてしまいます。それから十日ほど後、兵十の母親の葬列を見た「ごん」は、あのとき逃がしたウナギは兵十が病気の母親のために用意していたものだと悟り後悔します。

母を失った兵十に同情した「ごん」は、ウナギを逃がした償いのつもりで、鰯を盗んで兵十の家に投げ込みました。翌日、鰮屋に鰯泥棒と間違われて兵十が殴られていた事を知り、「ごん」は反省します。それから「ごん」は自分の力で償いをはじめます。しかし、兵十は毎日届けられる栗や松茸の意味が判らず、加助の助言で神様のおかげと言うことなってしまいました。それを聞いて「ごん」は寂しくなりました。

その翌日、「ごん」が家に忍び込んだ気配に気づいた兵十は、またいたずらに来たのだと思い、母親にウナギを食べさせられなかった復讐心から、「ごん」を撃ってしまいます。兵十が「ごん」に駆け寄ると土間に、栗が固めて置いてあったのが目に留まり、はじめて、栗や松茸が「ごん」の侘びだったことに気づきます。

「ごん、おまえだったのか。いつも、栗をくれたのは。」と問いかける兵十に、「ごん」は目を閉じたままうなずきます。兵十の手から火縄銃が落ち、物語が終わります。

小学生のときに国語で習い、全員で「兵十」と「ごん」の想いについて討論した覚えがあります。深い感銘を受ける話です。

*

新美南吉 小学校の国語の教科書  ごんぎつね 兵十 手袋を買いに 半田市 ほりけん 堀研究室 堀 小学生 愛知県半田市 大同大学 ほりけん 堀

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

「名古屋おもてなし武将隊」の人気が全国に飛び火 [地域紹介(名古屋・中区)]

ほりけん、1年ぶりに名古屋城を覗いてみました。そこに黒集りの人です。
高みから中を覗き込んでみました。何やら、侍姿の10名の人が芝居らしきことをやっています。
噂の「名古屋おもてなし武将隊」です。ほりけん、話に聞いていましたが実物は初めてです。
s-DSC_1001.jpg
織田信長、徳川家康、前田利家です。愛知県が生んだ歴史に名を残した武将達です。
演じる役者は、元々、職を失っていたイケメンの人達で、名古屋城で職を得たと聞いています。
こうしたイケメンの役者は、NHKの大河ドラマ並みに、今や名古屋のスターダムにのし上がりました。
若い女性から年を召された女性まで、「おっかけ」が大変と聞きます。
s-DSC_1002.jpg
木下藤吉郎(豊臣秀吉)も出てきました。皆さん、愛知県が生んだ武将です。
s-DSC_1006.jpg
愛知県が生んだ6人の武将、織田信長 豊臣秀吉 徳川家康 前田利家 加藤清正 前田慶次です。
s-DSC_1024.jpg
織田信長と木下藤吉郎です。殿と家来のやり取りです。
450年前の織田信長になりきっています。観客も本物の信長を見ているような気になります。
s-DSC_1026.jpgs-DSC_1030.jpg
織田信長の舞が始まりました。「人間五十年 下天のうちにくらぶれば夢幻のごとくなり 一たび生を得て滅せぬもののあるべきか・・・」。かっこ良過ぎます。
s-DSC_1016.jpgs-DSC_1012.jpg
名古屋城を背景に織田信長の演舞が続きます。観客も引き込まれます。
s-DSC_1043.jpgs-DSC_1044.jpg
6人の戦国武将もかっこ良いのですが、「戦国一の法螺貝吹き」の「お糸」さんも
脇役に徹してはいるのですが、そのキャラクターからか、何故か目だってしまいます。
DSC_2511.JPGDSC_2514.JPGs-DSC_2513.jpg
11:00からの午前の演技が終わりました。皆さん、揃って挨拶です。午後の部は14:30からです。
s-DSC_1090.jpg
芝居が終わってホッと一息の織田信長です(左の写真)。
さあ、これから武将と一緒に写真撮影です。「みなさん、どうぞ!」(右の写真)
s-DSC_1062.jpgs-DSC_1064.jpg
写真撮影に長蛇の列です。1人1人と話を交わしながらの写真撮影です。時間がかかります。
やっぱり、織田信長が一番人気です。ほりけんが並ぶ余地はありません。
s-DSC_2002.jpg
 写真撮影にも拘らず、人気の織田信長に抱きつく女性がいます(左の写真)。追っかけでしょうか?ほりけんの歳の人間には、相手が男優と言えども、大衆の面前で男性に抱きつく女性には、思わず注意をしたくなります。
 芝居が終わって休憩に引き上げる武将一行に多くの追っかけがついてきます(右の写真)。ブログ用にナイスショットの写真をと考えている人間(ほりけん)には、こうした「追っかけ」はありがたくありません。
s-DSC_1094.jpgs-DSC_2005.jpg
足軽も4名いました。脇役ですが、皆さん、かっこ良かったですよ。
以下は、「名古屋おもてなし武将隊」のブログより写真を拝借しました。
「戦国一の法螺貝吹き」の「お糸」さんです(左の写真)。明るかったですよ。
「一途な恋武者」の「お里」さん(右の写真)。恋愛に一途と思いきや演技も素晴らしかったです。
お糸.jpgお里.jpg
なぜ戦国時代に「外洋からの猛武者」が?変な外人も立派な役者さんでした(左の写真)。
「和を尊ぶ若武者」の「立三」さんの演技も真剣でした(右の写真)。
茄子.jpg立三.jpg
今や「名古屋おもてなし武将隊」の人気は、名古屋を出て全国ネットになりつつあります。
名古屋城のホームページ:http://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/
名古屋おもてなし武将隊のブログ:
名古屋城 名古屋おもてなし武将隊  織田信長 豊臣秀吉 徳川家康 前田利家 加藤清正 前田慶次 大同大学 ほりけん 堀

名古屋城の炎上と天守閣・本丸御殿の復元 [地域紹介(名古屋・中区)]

 太平洋戦争の前に、名古屋城はその美しさを誇っていました。炎上前の名古屋城です。
s-DSC_0004.jpg
名古屋城の天守閣のシャチホコは400年前の開府から黄金に輝いていました。
s-DSC_2200.jpg
 
黄金に輝く1対のシャチホコです。戦前、天守閣に燦然と輝く鯱は名古屋人の誇りでした。
s-DSC_3036.jpgs-DSC_0002.jpg
太平洋戦争の真っ只中、アメリカ軍の空襲によって名古屋城は炎上しました。
真っ暗闇の中、名古屋城は炎の海に飲み込まれました。これが「名古屋城の炎上」です。
DSC_8999-3(new).jpg
太平洋戦争が終わって、名古屋城の天守閣は復元されました。
その天守閣の水色の屋根が再び名古屋に戻ってきました。名古屋の街に威光を放ちます。
s-DSC_9052.jpgs-DSC_9053.jpg
金のシャチョホコと共に、完全に蘇った名古屋城の天守閣です。
夕焼けの空を背景に、再び、その雄姿を誇るようになってきました。
DSC_8999-4(new).jpg
そして、さらに、その名古屋城に本丸御殿が戻って来ようとしています。
s-DSC_0006.jpg
名古屋城は名古屋人にとっての、そして、愛知県人にとってのシンボルであり、誇りです。
「名古屋城の炎上」は、名古屋人にとってこの世の中で最も見たくない光景だったと思います。
今、その名古屋城に本丸御殿が戻ってきます。
名古屋城 アメリカ軍 空爆 空襲 B29 爆撃機 太平洋戦争 第二次世界大戦 炎上 天守閣の復元 本丸御殿の復元 大同大学 

nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

灯りの向こうに座っている人がいます [地域紹介(名古屋・熱田区)]

少し暗いのですが、灯りの奥に若い女性が座っているのが確認できます。s-DSC_1010.jpg

灯りの奥の方には、暗いのですが、確かに若い男性が座っているのも確認できます。s-DSC_1020.jpg

高貴な方が乗るカゴもあります(左の写真)。牛が引く荷車のような物もあります(右の写真)。s-DSC_1060.jpgs-DSC_1070.jpg

お雛様です。ひな壇かざりです。もうそんな時期なんですね。s-DSC_1030.jpg

「桃の節句」 です。名古屋市熱田区のイオンです。s-DSC_1085.jpg

沢山のひな壇かざりが並べられました。s-DSC_1120.jpgs-DSC_1110.jpg

「バレンタインデー」、「桃の節句」、「端午の節句」などスーパーに季節を教えられるほりけんです。
桃の節句 イオン 名古屋市熱田区 スーパーマーケット ひな壇かざり お雛様 お内裏様 ミニひな壇飾り 3月3日 大同大学 堀

 


三重県の「ひのな漬け」と京都の「ひのな漬け」 [地域紹介(三重県・鈴鹿市)]

ほりけんの四日市の自宅近くに、四日市のJAが経営する「四季采」があります(左の写真)。
そこに「おかあちゃん のひのな漬け」が売っていました。1パックを買いました(右の写真)。
s-DSC0101.jpgs-DSC09975.jpg
まさに、「おかあちゃん のひのな漬け」です。製造は四日市市です。
s-DSC09986.jpgs-DSC09985.jpg
少し、小皿に取ってみました。葉っぱとカブとが細かく切って混じり合っています(左の写真)。
三重県ではこうした菜の漬け物には必ずと言っていいほど、胡麻を落とします(右の写真)。
s-DSC09987.jpgs-DSC09989.jpg
そこに、醤油を落として、ご飯にかけたり、お茶漬けにして食します。
s-DSC09993.jpg
 

 「日野菜(ひのな)」は、カブラの仲間で、滋賀県日野町が原産地です。滋賀県、三重県、京都府でよく見かけます。 滋賀県産は太く、三重県産は細長いのが特徴です。

 三重や京都では日野菜漬けが盛んです。三重県と違い、京都では、下の写真のように、主にカブの部分を輪切りにして食べます。パリパリ感を楽しみます。下の左の写真は「京みずは」の、下の右の写真は「京都祇園藤村屋」の日野菜漬けです。

京都のひのな.jpg藤村屋.jpg

三重県漬物共同組合: http://homepage2.nifty.com/mie-tsukemono/kumiaiin.html

ひの菜 日野菜 京都市 京都府 三重県 鈴鹿市石薬師  ひのな漬け 日野菜漬け 胡麻 滋賀県が原産地 大同大学  堀


nice!(2)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。