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江戸時代、桑名(三重県桑名市)のシンボルは桑名城の幡龍櫓でした [地域紹介(三重県・桑名市)]

歴代の安藤広重が、東海道五十三次の桑名宿の桑名城を何度となく描きました。

江戸時代、勢湾から桑名城の「幡龍櫓(ばんりゅうやぐら)」を望みます。
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安藤広重は、何故か、桑名城でも幡龍櫓を好んで描きました。
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安藤広重が描いた七里の渡しと幡龍櫓です。 
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江戸時代には桑名と言えばこの幡龍櫓でした。  
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復元された幡龍櫓と、今も残るその手前のお堀です。 
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安藤広重が何度となく描いた幡龍櫓手前のお堀です。今も、現存します。
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桑名城跡は、今は、市民に親しまれる九華公園です。下の地図の左下が龍櫓です。
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徳川家康の重臣の1人である本多忠勝公の像です。
1600年、関が原の戦いの戦功により、桑名10万石に転封されました。
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この絵は、江戸時代の桑名の街並みです。
江戸時代にも、やっぱり桑名は「焼き蛤」で有名だったようです。
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伊勢の国の桑名(現在の三重県四日市市)のシンボルは、江戸時代には桑名城の幡龍櫓でした。
名物は、焼きはまぐりだったようです。

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