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ノーベル賞のアルフレッド・ノーベルの研究の原点が知りたくって [スウェーデン紀行(カールスクーガ)]

ストックホルムから250kmのカールスクーガの燃料電池関連の会社を訪問しました。
ここを訪問したもう1つの目的は、アルフレッド・ノーベルがダイナマイトの研究を行なっていたのが、
ここカールス・クーガであり、ノーベルと言う人間の原点を見たかったからです。
 
カールスクーガでノーベルがダイナマイトの研究を行なっていた地に、彼の銅像が立っています。
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カールスクーガは、ストックホルムから250km西方にある人口数万の小さな町です。
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アルフレッド・ノーベルは、この地でダイナマイトの研究を行なっていました。
戦車や、弾丸で打ち抜いた分厚い鉄板が今も残っています。
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広大な場所で研究は行なわれていました。
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カールスクーガに残る溶鉱炉です。400年の歴史を残しています。
スウェ-デンでは良好な鉄鉱石が産出され、
ここカールスクーガでは早くから大量の鉄が手に入りました。
それがカールスクーガにスウェーデンの軍事工場が置かれていた背景と考えられます。
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かつて、カールスクーガには巨大な地下軍事工場がありました。
中心街航空写真.JPG
 
 アルフレッド・ノーベルは、昔、スウェーデンの軍事工場の拠点の1つがあったカールスクーガで
まさに武器としてのダイナマイトの研究を行なっていたのだ。と、改めて認識することが出来ました。
 
ほりけんも研究者の端くれとして、アルフレッド・ノーベルが歩んだ道を調べてみました。
 
アルフレッド・ノーベルの人物像
 
 1855年、ノーベル本人はにニトログリセリンのことを知る。しかし、この爆薬は狙って爆発させることが難しいという欠点があったので起爆装置を開発。
 
 1865年、ニトログリセリンの製造業を開始する。衝撃に対する危険性を減らす方法を模索中、ニトロの運搬中に使用していたクッション用としての珪藻土とニトロを混同させ粘土状にしたものが爆発威力を損なうことなく有効であることがわかり、1866年ダイナマイトを発明する。
 
 1871年、珪藻土を活用しより安全となった爆薬をダイナマイト(ギリシア語で「力」)と名づけ生産を開始。50カ国で特許を得て100近い工場を持ち、一躍世界の富豪の仲間入りをする。
 
 1876年には結婚相手を見つけようと考え、女性秘書を募集する広告を5ヶ国語で出し、5ヶ国語で応募してきたベルタ・キンスキーという女性を候補とする。しかしベルタには既にアートゥル・フォン・ズットナーという婚約者がおり、ノーベルの元を去ってフォン・ズットナーと結婚した。この2人の関係はノーベルの一方的なものに終わったが、キンスキーが「武器をすてよ」などを著し平和主義者だったことが、のちのノーベル平和賞設に関連していると考えられている。そして1905年に女性初のノーベル平和賞を受賞。
 
 また、1876年、当時20歳のゾフィー・ヘスと出会い、交流が始まる。ゾフィーには218通の手紙を残した。しかし1891年に、ゾフィーが他の男の子供を宿していることが分かり2人の関係は急速に冷えた。ノーベルの死後、ゾフィーはこれらの手紙をノーベル財団に高額で買い取らせることに成功したためすべてが残っており、またノーベル財団により公開もされている。
 
 1888年、兄ルードヴィが死去。この時、ノーベルと取り違えて死亡記事を載せた新聞があり、見出しには「死の商人、、死す」とあった。さらに本文には「アルフレド・ノーベル博士: 可能な限りの最短時間でかつてないほど大勢の人間を殺害する方法を発見し、富を築いた人物が昨日、死亡した」と書かれており、このことからノーベルは死後の評価を気にするようになったという。
 

 1894年、武器製造工場を買い取り、武器製造業に進出する。

 1896年12月7日、サンレもモにて脳溢血で倒れる。


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