スペイン首都マドリッドの黄昏時の郷愁 [スペイン紀行(マドリッド)]
スペイン首都マドリッドの王宮に沿う、黄昏時のバイレン通りです。
マドリッドの夕暮れ時、王宮からアルムテナ大聖堂を通り、マヨール通りへと足を運びました。
マドリッドの夕焼けが、王宮を焦がします。
王宮からバイレン通りを南に歩くとアルムテナ大聖堂があります。
大聖堂を照らすように街灯がともりました。
ライトアップされたアルムテナ大聖堂を正面から望みます。
ラッシュアワー時のバイレン通りです。
マヨール通りに入ると直ぐに、ビージャ広場の教会が目に飛び込んできました。
街灯が、ほのかに マヨール通りを照らします。
その夜は、スペイン風のレストランに入りました。
店内です。歴史を感じさせる店内です。
焼きギョウザのようなものが出てきました。
中からは、フリームが出てきました。
グラタン風ですが色々な具が入っています。
昼間のマドリッドに、無敵艦隊の時代のスペインの栄光をみました。
黄昏時のマドリッドに、そのスペインの歴史が浮き彫りにされていました。
大学入試センター試験に心打たれる事もあります。 [キャンパス(冬・学舎と自然)]
1月15日(土)、16日(日)、全国で一斉に大学入試センター試験が行なわれました。
16日の朝方から降り出した雪があっと言う間に積もってきました。
試験場への道は、雪で一杯です。
センター試験の昼休み、例年は、屋外に見られる人影が今年は全く見られません。
白銀の大学入試センター試験になってしまいました。
16日午後6時、全ての試験が終りました。雪の中、受験生は、足早に帰路につきました。
ほりけんの部屋からセンター試験場であった学舎を見下ろします。
受験生が帰路について暫らくしてからの学舎です。
まさに「蛍の光、窓の雪、・・・」です。夜にも拘らず、灯がいらない位です。
昔から、入試は雪と決まったものでした。今年も、センター入試2日目が雪にたたられました。
そんな中、18歳の学生に混じって、何人もの30代、40代、50代の受験生をみかけます。
白銀の試験会場、色々な世代の赤く燃えたぎる勉学意欲に心を打たれています。
名古屋のテレビ塔と名古屋城のライトアップ [地域紹介(名古屋・栄)]
名古屋の久屋大通公園に名古屋のテレビ塔はあります。
今の時期、ライトアップが綺麗です。1954年(昭和29年)に竣工しました。高さ180mです。
そのテレビ塔を下から眺めてみました。
名古屋の夜に威光を放ちます。かつては、遠くからも見えました。
エレベータで高さ100mの展望台に上がります。
エレベータを出るとハートで出迎えてくれます。
久屋大通公園が眼下に広がります。
オアシス21、名古屋人の憩いの場です。
今では、高さ100mにあるテレビ塔の展望台から名古屋駅のビルを見上げるようになりました。
遠くに名古屋城のライトアップをの望むことが出来ます。
東京のスカイツリーがその高さを増してきました。
でも、名古屋人にとってのシンボルは、いつまで経ってもテレビ塔と名古屋城です。
スペインのマドリッドからザラゴザへの高速鉄道の旅 [スペイン紀行(ザラゴザ)]
燃料電池の学会は、スペインのザラゴザで開催されました。
マドリッドからザラゴザへの車窓からの眺めです。
ザラゴザはマドリッドから、高速鉄道で1時間半の距離にあります。
こうした眺めが車窓に展開されます。
途中、山があったり、町があったりします。
朝食が運ばれてきます。
ザラゴザの駅に到着しました。現代的な駅です。
高速鉄道の乗務員です。大変、お世話になりました。
多くの電車が足を休めています。
ザラゴザの駅を出ました。タクシーで学会会場に向かうことにしました。
学会は、政府関係の建物で行なわれました。
燃料電池の学会は夕方まで行なわれました。
再び、ザラゴザの駅に戻ってきました。
ザラゴザ駅の夕焼けです。夕焼けの美しさは、ザラゴザでも同じです。
全席座席指定です。ザラゴザ駅で座席指定を買います。学生の英語力、心配ではありますが。
ザラゴザ駅のプラットホームです。
人影も疎らです。
こうして、珍しくトラブルもなく、ザラゴザでの燃料電池の学会の1日は過ぎていきます。
50歳以上も年下の自分と一緒に、昭和村を歩いています。 [地域紹介(岐阜県・美濃加茂市)]
岐阜県美濃加茂市に日本昭和村があります。村長は、中村玉緒さんです。
ほりけん、小学生の頃、近所には萱葺きの家がありました。
家々の軒先には、渋柿や大根など、干されていました。
囲炉裏のある家もありました。
小学校に行くのが楽しみでした。校門を入ると二宮金次郎の像がありました。
学校から帰宅するなり、お小遣い10円をもらって、近所の駄菓子屋に走りました。
10円でお菓子を買うこともありました。
マーブルチョコレートも好きでした。
ぷっちん羊羹、針でついて、食べました。
お小遣いが多い日には、竹とんぼやプラスチックの刀や縄跳びを買いました。
夕方、いつも、紙芝居屋さんがやってきました。よく、水飴を買いました。
秋祭りには、弓の店が出ました。
矢が、真中にあたることはありませんでした。
子供のころは、よく熱を出しました。スクータに乗せられ病院に連れられていきました。
あれから、半世紀以上が過ぎ、50歳以上も年下の自分と一緒に、昭和村を歩いています。
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愛知県犬山市の「四季桜」は、夏を除いて、ずっと花をつけます [地域紹介(愛知県・犬山市)]
愛知県犬山市の公園で「四季桜」を見つけました。
夏を除いて、春・秋・冬、少しずつ、ずっと花をつける桜です。
新学期の4月のような景色ですが、実は、真冬の光景です。
厳寒のこの時期、四季桜は綺麗に桜の花を咲かせます。
満開です。この写真、4月ならば、よく見かける普通の風景です。でも、真冬の写真なんです。
青空を背景に、一段と美しさを際立たせます。
枝垂桜のようでもあります。
ランドセルをかけた新1年生のはしゃいだ声が聞こえてきそうな桜の花ですが、
実は厳寒の愛知県犬山市の公園で、手を縮ませながらシャッターを押した「四季桜」です。
三重県亀山市:江戸時代、東海道関宿で年を越した旅人の郷愁が今に伝わる [地域紹介(三重県・亀山市)]
ほりけん自宅から30分のところに三重県亀山市関町があります。
関宿は、東海道五十三次の47番目の宿場町として栄えました。
ここには江戸時代後期から明治時代にかけて建てられた町屋が200棟以上も現存します。
鈴鹿山系の裾野にあります。
食堂などもあります。「亀山みそ焼きうどん」の看板を多く見かけます。
まだ、正月気分が残っています。年賀はがきの旗も残る郵便局です。
日の丸の国旗やしめ縄もまだ飾られています。
家々の玄関には門松も残っています。
鈴鹿おろしの風が雪を運んできます。
その隣のお寺にも雪がチラチラしてきました。
江戸時代にも、鈴鹿おろしの冷え込みが関宿の旅人を凍えさせたことでしょう。
雪の中、関宿を描くお年寄りの一団がいました。
江戸時代も、鈴鹿おろしに舞う雪の中、関宿の門松で正月を迎えた旅人がいたことでしょう。
雪の中、お年寄りの絵に、江戸時代、この地で年を越した旅人の郷愁が炙り出されていました。
フラメンコと地元で人気のレストランでマドリッドの夜を満喫しました [スペイン紀行(マドリッド)]
マドリッドの中心部の地下鉄ソル駅の近くには、幾つかのフラメンコの劇場があります。
その1つに入ることにしました。劇場の名前は「Ballet Flamenco de Madrid」です。
多くの人が次の開演を待っています。 チケットを買いました。
開演の10分前に入場させてくれました。ほりけん、ちょっと、興奮気味です。
幕が開き、フラメンコが始まりました。
フラメンコが終わりました。多くの方がフラメンコの土産を買っています。
まさに、こうした人形のような踊りでした。
フラメンコの後で、マドリッドの研究所の方から勧められた地元で人気のレストランに入りました。
店内に入ると多くのボトルが置かれていました。
さらに進むと多くの客が入っていました。
飲み物は、赤ワインにしました。
まだ、ぬくもりのあるパンが出てきました。
料理は、日替わりのセット・メニューです。スープです。
細いマカロニです。
メインディッシュです。見た目はよくないのですが、味はOKです。
最後にデザートです。結構な甘さです。
学会の後、マドリッドの夜を満喫しました。
岐阜県美濃加茂市の日本昭和村にみる昭和の農業 [地域紹介(岐阜県・美濃加茂市)]
愛知県犬山市に「明治村」があります。
一方、岐阜県美濃加茂市には「日本昭和村」があります。
多くの畑があります。
大根などが植えられていたりします。
ネギも植えられています。
勿論、お茶の木も植えられています。
昔、農業に使われていた器具です。ほりけんにとっても懐かしいものばかりです。
カイコです。昔、ほりけんの親も桑を作っていました。
昭和村には、家畜も多くいます。
ウサギもいます。いまの時期、ウサギにとっても寒さがこたえるようです。
ひつじです。何とも、やさしそうな顔をしています。
馬です。 昭和の真っ只中、ほりけんも、自宅周りで、こうした家畜を多くみかけました。
ほりけんにとって、明治は過去であり、歴史の1ページです。その記録の1つが「明治村」です。
ほりけんにとって、「昭和」は、まだ過去とは考えていません。
しかし、「昭和村」は、昭和を、既に過去の歴史の1ペーとして綴っています。
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愛知県犬山市の桃太郎神社 [地域紹介(岐阜県・美濃加茂市)]
愛知県犬山市に桃太郎神社があります。
賽銭箱に大きな桃が描かれています。
昔々、おばあさんは、川に洗濯にいきました。そのときに、おばあさんが使った石です。
桃太郎はこの地で生まれたとされています(左)。桃太郎が生まれた桃です(右)。
おじいさんとおばあさん、桃太郎のためにキビ団子をつくりました。
そして、桃太郎は鬼を退治しました。
降伏した鬼が泣いています。
鬼が改心し、鬼の目から涙が出ています。
本当に、鬼が泣いています。
本当に、改心したようです。
現在では、その鬼はミイラになってこの地に眠っています。
改心した鬼は、今はミイラとして残っています。
ほとんど白骨化しています。
と言うことで、めでたく鬼退治をした桃太郎は、財宝を持って帰りました。
桃太郎の調査もこの地で行なわれたようでう。
昨年、桃太郎の生誕の地といわれる岡山に出張しました。
桃太郎の生誕の地であることをPRしていました。
ほりけんの職場のある名古屋の近くにある犬山市も、桃太郎生誕の地として言われています。
スペインの研究機関との共同研究の交渉にのぞむ [スペイン紀行(マドリッド)]
欧州への出張も最後の訪問先になりました。マドリッドの国立研究所です。
マドリッドのホテルからタクシーを飛ばして、訪問先近くに到着しました。
訪問先は、マドリッドにあるコンプテンセ・デ・マドリード大学に接した国立研究所です。
その訪問先のゲートに到着しました(左)。ほりけん、その近くで、記念撮影です(右)。
その国立研究所との共同研究に係わる打合せは、タップリ半日以上に及びました。
打合せ後、コンプテンセ・デ・マドリード大学のキャンパスを覗いてみました。
芝生の上で語らう学生達の姿が印象的でした。
大学を後にし、マドリッドの町に出かけました。スペイン広場の噴水が目に飛び込んできました。
スペイン公園は大きなビルに面していました。
スペイン広場には、土産物を売る店が幾つも並んでいました。
スペイン広場で、お祈りをする幼児がいました。
その後ろから、父親でしょう。シャッターを押していました。どこの国でもよく見かける光景です。
「さぁ、帰るよ」
海外出張では、午前中は、各国の企業、大学、研究機関との共同研究の交渉です。
午後は、その緊張感から解き放たれ、それぞれの国を隅々まで見て回ります。
ほりけんに同行する学生にとって、午前中も勉強なら、午後も勉強のうちです。
愛知県では、銀杏をバケツ一杯に拾って食することもあります [地域紹介(愛知県・一宮・稲沢市)]
ほりけんの職場のある愛知県は銀杏の産地として有名です。
ほりけんの職場、近くの公園、職場への道路沿いに、多くのイチョウの木が植わっています。
イチョウの木には、雄と雌があって、銀杏の実は雌の木になります。
道路沿いには雄の木が、公園などには雌の木が多く植わっているように思えます。
ほりけん、職場近くで拾った銀杏を、四日市の自宅に持ち帰り、実を取り出すことにしました。
ペットボトルに水を入れ、そこに銀杏を沈めます(左)。1ケ月近くして見てみました(右)。
ヌルヌルしています(左)。強烈な臭いです。 実だけを取り出します(右)。
銀杏の実が出てきました。
それを、少し割って封筒に入れ、電子レンジで加熱してみました。
香ばしい匂いがします。
殻から、中の実を取り出してみました。透き通るような黄色です。
晩秋、愛知県の公園で銀杏を拾う方々をよく見かけます。
バケツ一杯の銀杏を集めるお年寄りもいたりします。
年を越して、それを、おでん(下)や茶碗蒸しにして食べる愛知県人が多くいます。
ほりけん、横浜に暮らしていたころには、銀杏はスーパーで買ってきました。
愛知県では、晩秋、その臭いが公害と言われるほどに多くの銀杏が公園に落ちていたりします。
正月の頃、それが、各家庭の食卓に上がることも愛知県では珍しくはありません。