イタリア紀行 ピサのドゥオモの大聖堂と斜塔 [伊国紀行(トリノ・ピサ)]
ブログで世界紀行のアルバムを作っています。
昨年のイタリア紀行の記事、途中でストップさせてしまいました。
ミラノ、ベネチア、トリノの紹介まで終わりました。ピサからスタートさせます。
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トリノから鉄道に乗り、ピサ駅に着きました。1人旅です。スーツケースは駅に預けました。
ピサ駅から「ピサの斜塔」があるドゥオモまでバスに乗りました。
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ドゥオモ広場です。手前にサンジョバンニ洗礼堂、その奥に大聖堂(大教会)
そして遠くに「ピサの斜塔」が見えます。
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ドゥオモ広場には世界各国から沢山の観光客です。
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ドゥオモ広場の沿って土産物売り場が並んでいます。
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さらに歩きます。大聖堂と斜塔が近づいてきました。
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斜塔が近づいてきました。
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やっぱり、結構傾いています。
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斜塔の足元です。
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さらに進んで斜塔を反対側から眺めてました。
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大聖堂(手前)とサンジョバンニ洗礼堂(奥)を裏側から眺めてみました。
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米国へ出向く機会は多いのですが、歴史に浸るにはヨーロッパが良いですね。
イタリア王国の首都トリノでサヴォイア家の王宮を歩く [伊国紀行(トリノ・ピサ)]
燃料電池の学会も終わり、トリノの街を歩くことにしました。
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サン・カルロ広場です。
この広場の中心に、初代統一イタリアの国王、エメヌエーレ・フィリベルの騎馬像があります。 ・
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トリノは、
1536年から1562年にかけてフランスに占領された後、サヴォイア家に帰属しました。
1720年より1861年までサレデーニャ王国の首都として栄えました。
イタリア統一後は1861年より1865年までイタリア王国の首都として繁栄しました。
現在は、ミラノに次ぐイタリア第2の工業都市です。
また、イタリアサッカーリーグのセリエAのユヴェントスの本拠地です。
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サヴォイア家の王宮です。1660年に建設され1865年まで王宮になっていました。
現在では、世界遺産に指定されています。 右端にマダーマ宮殿が僅かに見えます。
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マダーマ宮殿です。この建物は、2つの建物が寄せ合わさっています。奥の建物は宮殿風ですが、手前の建物は、中世のお城風です。確かに、手前の建物は、ローマ時代にはデクマナ門が立っていた場所であり、中世の時代には要塞としても使われていました。
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マダーマ宮殿を城門側から写真にしました。要塞風です。
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トリノには、イタリア統一王国の遺産が色濃く残っています。
イタリアのトリノのポー川辺で燃料電池の学会に出席 [伊国紀行(トリノ・ピサ)]
ヨーロッパの燃料電池の学会は、ロンドンと欧州主要都市とで毎年交互に開催されます。
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この年は、欧州主要都市としてイタリアのトリノが選ばれました。
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学会は、45年前くらい前でしょうか?学生時代に地理で習ったポー川の近くにありました。
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学会の会場の玄関です。玄関には、ヨーロッパ風の庭がありました。
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会場の建物です。学会はこの建物の地下にある会議場を使って行われました。
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燃料電池の学会のコーヒ-ブレイクです。
20年前、ほりけんがアメリカの企業に駐在していた時以来の旧友も来ていました。
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会議の開催中に日本から持参したカメラが動かなくなってしまいました。
慌ててデパートに駆け込み、カメラを購入しました。説明書を読むのが大変でした。
イタリア出張、これからは、イタリアで購入したソニーのカメラで撮影します。
ベネチアのサンタ・ルチア駅から鉄道でトリノのポルタ・メオーヴァ駅へ [伊国紀行(トリノ・ピサ)]
鉄道を使ってベネチアからトリノに到着しました。ホテルは駅の隣にとってありました。
Best Western Hotel Genova です。
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明日の学会の会場をホテルの人に確認してもらいました。ホテルから歩いて行けそうです。
昔、地理で習ったポー川の近くです。
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日本から海外旅行用の日本食を持ってきていたのですが、
持参のポットの電源が容量制限にひっかるようで使えません。
駅前に広場がありました。カルロ・フェリーチェ広場です。
その周辺でレストランを探すことにしました。
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駅前の建物の1階全てがショッピング街になっています。歩いてみることにしました。
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色々あります。簡単なイタリア風のものを食べることにしました。
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明朝から、燃料電池の学会に出席します。
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