24年ぶりに、ハイデルベルクの古い町並みを歩いてみました [独国紀行(ハイデルベルク)]
ハイデルベルクの町並みを24年ぶりに歩いてみました。
ハイデルベルクの町です。ハイデルベルク城を降りてハウプト通りを歩いてみました。
ハイデルベルク城を降りたところで、振り返って城を写してみました。
建物に花が満開です。 ハウプト通りに一杯の人です。
マルクト広場に聖霊教会があります。 1544年創設されたゴッシク教会です。
聖霊教会の中です。
カール・テオドール橋の上から左手にハイデルベルク城をのぞみます。
ほりけん、カール・テオドール橋の上で、ハイデルベルク城を背景に写真におさまりました。
ほりけん、1986年11月9日、この橋の上で写真におさまりました。
24年ぶりにハイデルベルクの町を歩いてみました。
ほりけん、歳をとったためか、街の隅々の生活に目がいくようになりました。
ハイデルベルクのレストラン [独国紀行(ハイデルベルク)]
ハイデルベルクのハウプト通りとカール・テオドール橋の間にあるレストランです。
ドイツ風のレストランです。
中に入ってみました。午後3時ですが、何組かのお客がいます。
トランペットがかかっています。店内は、古風に作られています。
メニューが来ました。いつものことですが、何が何やらサッパリ分かりません。
ソーセージだけは分かります。それを頼みました。
料理が来ました。美味しそうです。
ソーセージです。ドイツのソーセージに失敗はありません。
これもソーセージなんですかね?
何かは分かりませんが、味はOKです。
ドイツのビールです。少し苦が目です。
ハイデルベルクの古い街並みで、何気なく入ったレストラン。味はしっかりしていました。
ハイデルベルク城 [独国紀行(ハイデルベルク)]
フランクフルトからシュトゥットガルトへの途中、ハイデルベルクに寄りました。
ハイデルベルク駅からハイデルベルク城までタクシーを頼みました。
ハイデルベルク城からハイデルベルクの街を眺めます。
ネッカー川に架かるカール・テオドール橋が見えます。
13世紀に創建され、その後、歴代の城主により様々な時代の建築様式が織り込まれてきました。
城壁を背景に、紅葉が始まっています。
城壁が崩れています。そこに紅葉が似合います。
落葉もチラホラ見られます。
ハイデルベルク城の内部に入ってみました。すり減った石畳に時代の流れを感じます。
18世紀末に製造された世界最大のワイン樽が城内にあります。
もう1つあるワイン樽です。24年前、この樽の前で写真をとりました。
ワイン樽の前で、軽くお茶を楽しみました。
1986年11月9日、この城に来ました。2010年9月26日、再び、この城に戻ってきました。
ハイデルベルク駅のコインロッカー未払いで、ほりけん逮捕される [独国紀行(ハイデルベルク)]
フィンランドのヘルシンキからドイツのフランクフルトへ飛行機で移動。
フランクフルト空港から学会が開催されるシュトットガルトへは鉄道で移動。
シュトットガルトへの途中、ハイデルベルクで途中下車しました。
ハイデルベルクの駅に着きました。
ハイデルベルク駅です。ほりけんにとって24年ぶりです。駅もスッカリ様変わりしました。
昔は、荷物を預けるカウンターがあり、そこにスーツケースを預けた記憶があります。
しかし、今は近代的なコインロッカーが設置されています。スーツケースを収めました。
この時、ほりけん、コインロッカーの代金は後払いと勝手な解釈をしてしまいました。
ところが、ハイデルベルク城を見物後、お金を払ってロッカーを開けようとしたのですが、
ロッカーが空きません。色々聞きまわっていると、ついに、駅の保安関係者がでてきました。
事情を話すと、若い女性であるその保安関係者が激怒。完全に、ほりけんを犯罪者扱いです。
そして、ほりけん、事務所に連行されることになりました。
そして、ほりけんの事情聴取が始まりました。
コインロッカーの未払いで、ほりけん、正に無賃乗車と同じ犯罪者です。
「国籍は?」 「日本です。」 このままでは、刑務所です。 ほりけん、必死です。
「ハイデルベルクのロッカーのようなコンピュターによる中央管理は煩雑すぎる。」
「カギ方式の日本のシステムの方が合理的。」と声を荒げるほりけん。
強く主張したことが功を奏したのか、定額の€ 6を払って開錠してもらうことになりました。
それまで、眉間にシワをよせ、厳しい面を崩さなかった若い女性保安関係者も、
最後にはニッコリとしてくれました。改めて見ると、絶世の美人でした。
あんなに怖い女性の顔を見たのは、還暦近いほりけんにとって人生初めのことでした。
フィンランドのヘルシンキ空港からドイツのフランクフルト空港へ [フィンランド紀行(ヘルシンキ)]
9月下旬、フィンランドのヘルシンキ空港からドイツのフランクフルト空港に飛びました。
ヘルシンキ空港である。早朝のフライトです。
ヘルシンキ空港のレストランで一休みです。
AM8:20のフライトです。フィンランドの上空です。
2時間半の快適な飛行です。
雲と雲の隙間を縫って飛行します。
太陽が雲の合間を縫って光を放ちます。
太陽が照り付けます。 北欧の秋の上空の太陽です。
フランクフルト空港から ハイデルベルクを経由してシュトゥットガルトに向かいます。
フランクフルト空港の鉄道の駅です。
フランクフルト空港の鉄道にICEがやってきました。
電車は、スーツケースをもった乗客でほぼ埋まりました。
フィンランドに続いて、鉄道を利用したドイツの移動が始まりました。
ヘルシンキ空港のホテルのバイキング形式の朝食 [フィンランド紀行(ヘルシンキ)]
ヘルシンキでは、空港内のホテルHotel Palace Airportに泊まりました。
そのホテルは地下にあり、レストランも地下にあります。
朝食はバイキング形式です。 野菜類やハムです。
バナナなど色々な物を乾燥させた物が出ています。
デザート類です。スイカやヨーグルトなどです。
それらを皿に取ってみました。
レタス、トマト、胡瓜、ハムです。
デザートです。
これが良く分からないのですが、あまり美味しいとは言えませんでした。
レジで清算を行います。
ヘルシンキ空港のホテルのバイキング形式の朝食、内容は日本とほとんど同じでした。
富山県の名産、鯛のカマボコと昆布を巻き込んだカマボコ [食の探索(富山県・全県)]
富山県では蒲鉾が有名です。こんなタイのカマボコが結婚式で配られたりするそうです。
上の写真の鯛、長さ約65cm×高さ約35cm×厚さ7cm、おもさ約5.5kg、価格23,100円です。
富山県の結婚式では、こんな鯛が出席者に配らたりするそうです。
結婚式に100名が出席すると、鯛の蒲鉾だけで200万円以上かかると言う計算になります。
鯛を頂いたら上の写真の青い線に沿ってスライスし、それを近所に配ります。
スライスされても、その長さから元々の鯛のカマボコの大きさが推定でき、
結婚式へのお金のかけかたも推測できると言うことらしいです。
ほりけんには、2万円の土産は無理です。幸い、富山駅には色々なカマボコが売られています。
そうした富山のカマボコの中でも一番人気は「昆布蒲」とのことで、買いました。
本来のカマボコがもつ柔らかさに、昆布の歯ごたえがベスト・ミックスです。
富山出張のほりけんの自分へのお土産は、決まって蒲鉾です。
長い歴史と深い味の両方を頂いています。
ヘルシンキから隣町までフィンランド鉄道の旅 [フィンランド紀行(鉄道の旅)]
フィンランド鉄道を使って、ヘルシンキから隣町Karisまで往復2時間の旅をしました。
ヘルシンキ中央駅です。多くの店があります。
色々な行き先の車両が並びます。動力はジーゼルです。
これはら往復2時間の鉄道旅行です。 何か食料を買い込む必要があります。
パンに色々なものが挟まれています。 3つ買いました。
買ったものを、車両の中で開けてみました。ビーフやトマトが入っています。結構、いけます。
こちらも美味しそうです。細かいビーフが入っています。
こちらは、野菜中心です。日本人の口にも合います。
1等席です。かなりユッタリしています。
鉄道の長旅。子供が遊べる車両もあります。
食堂車です。飲み物やスナック類などが楽しめます。
車窓にフィンランドの森が続きます。
ヘルシンキから走ること1時間、Karisの駅に着きました。人影はまばらです。
この車両の2階に乗ってきました。
駅にレストランもあります。 小さな町です。若者のたまり場になっています。
怖々、ほりけんがカメラを向けると、「イエー」と言って、ポーズをとってくれました。
米国や欧州への海外出張の仕事の合間を縫って、色々な都市を放浪します。
そこで出くわす人・建物・習慣など、ほりけんの楽しみの1つです。
ヘルシンキの隣町のスーパーに見るフィンランドの生活 [フィンランド紀行(鉄道の旅)]
フィンランド鉄道に乗って1時間、Karisの町で下車してみました。
Karisの駅です。人影は疎らです。Karis、降りてみましたが、小さな町です。
機関車が置いてあります。こうした光景は、日本でもよく見かけます。
駅から少し歩いてみると、4つのスーパーがありました。そのなかの2つです。
なかに入って直ぐに果物売り場があるのは日本と同じです。りんごやバナナがあります。
みかんが売っています(左の写真)。Satsuma Iwasaki(薩摩 岩崎)とあります(右の写真)。
海外でオレンジはともかく、みかんは滅多にみかけません。日本人が栽培しているのでしょうか?
数個を袋積めにして買ってみました(左)。食べてみましたがミカンの味がします(右)。
色々な野菜が売られています。日本の売り場に比べて広いような気がします。
野菜の中に混じって、何種類ものキノコが売られています。
フィンランドでは、どこに行っても、こうした何種類ものキノコが多く売られています。
玉ねぎ、じゃが芋、ニンニクなどが、多く見かけられます。
本場と言うことでしょうか?「サーモン」が多く売られています。
スーパーの外には、この時期アジサイの花です。
白や紫の花が今を盛りにさいていました。
北欧のフィンランドで、この時期、キノコやみかんやあじさいの花を多く見かけました。
ヘルシンキ沖合い世界遺産「スオメンリナ要塞」に見る人々の望郷 [フィンランド紀行(ヘルシンキ)]
ヘルシンキ沖合い、バルト海に浮かぶ世界遺産「スオメンリナ要塞」です。
ヘルシンキからの船は、下の地図のCの地域に到着します。
地図のAの地域には、幾つもの大砲があり、断崖から望むバルト海が郷愁をさそいます。
ヘルシンキから船を降りた観光客が、これから島巡りに出かけます。
少し、歩を休める人たちもいます。
少し歩くと教会があり、そこの芝生にキノコが一杯です。
さらに歩くと、小高い芝の上に、バルト海を眺めながらお茶を楽しめる店があります。
要塞の南端(地図のAの地域)の断崖の上。何時間もバルト海を眺める人達がいます。
その隣には、カップルがいて、男性が女性の写真を撮っています。
断崖には、文字が刻まれています。
スウェーデンとロシアの凄まじい戦いを長く見つめてきたことでしょう。
断崖の下の水際にも、女性の写真を撮る男性の姿がありました。
遠くバルト海を望みます。第二次大戦前、何年もに亘ってここを大砲の弾が飛び交いました。
その海を眺めている女性がいました。
その岩場で、海鳥が羽を休めていました。
晩秋の世界遺産「スオメンリナ要塞」で人々の心が洗われるのを見ました。
ヘルシンキ沖合い世界遺産「スオメンリナ要塞」の紅葉 [フィンランド紀行(ヘルシンキ)]
ヘルシンキ沖合いに世界遺産「スオメンリナ要塞」があります。
そこの紅葉が、今、見所です。
真っ赤なツタが赤いレンガの建物に絡みます。
その窓際には、真っ赤な花が咲いています。
蜘蛛です。良く見ると作ったものです。
真赤なツタが要塞に絡んでいます。
城壁と紅葉のコントラストが絶妙です。
落葉も始まっていました。
兵隊の足元にも多くの落葉です。
大砲に目を取られていましたが、見上げると、木々の葉っぱが黄色に色付いていました。
バルト海を背景に紅葉が始まっています。
「スオメンリナ要塞」にある民家にもコスモスが咲いています。
堤防の雑草の中に白い花が咲いています。
ヘルシンキを遠くに見るように黄色い花が咲いていました。ナタネの花でしょうか。
ヘルシンキ沖合いのバルト海に浮かぶ 「スオメンリナ要塞」に紅葉が始まっていました。
ヘルシンキの沖合の世界遺産「スオメンリナ要塞」の軍人 [フィンランド紀行(ヘルシンキ)]
フィンランド首都ヘルシンキの沖合にある世界遺産「スオメンリナ要塞」は、過去、
フィンランドを巡るロシア・スェーデン戦争などの争いに何度も関わった小さな島です。
戦後、軍用地から開放したのがわずか30年前とのことです。
女性が昔さながらに食事の支度をします。向こう側のテントには何名かの軍人がいます。
食事を済ませば、男たちは出陣の準備です。
ただ、よく見ると男たちは若くはありません。 整列もイマイチです。
でも、時間はかかりましたが一応整列しました。小さな子供が1人混じっています。
拳銃をもって教会の前に集まってきました。
行進も始まりました。 ただ、80歳近い軍人?の集まりであり、スピーディーとまでは行きません。
ほりけんが立ち去ろうとすると、「射撃が始まるからもう少し待て」と軍人。
しばらく待っていると、本当に、射撃が始まりました。
続いて大砲の準備です。動きは極めて緩慢です。
打ち方始め!!
打ち方始め!!
地響きがします。子供の軍人は逃げ出して耳栓です。
ほりけんが「怖いよね?」と聞くと、半べそ顔になってしまいました。
砲撃の後、ほりけん、軍人と記念撮影です。
世界遺産「スオメンリナ要塞」で、こんなイベントに出くわすなんてラッキーでした。
80歳を超える人たちが演じる軍人も非常に明るかったです。